えりぃです。
今年度が終わりますね。
1年間、様々なことがありました。
長男は入学をし、
初めての小学校生活で
洗礼を浴びたり、
⇒洗礼
トラブルがあったり
先生にダメ出しをされたり
親子ともども試練の1年でした。
次男は長男のいない幼稚園に行くことが苦痛で
さら言葉も達者ではないですし、
気持ちを表現することも苦手なので
お葬式状態で幼稚園へ行く日々が続いていました。
最後は自信を持って楽しく通うようになってくれましたが
約1年かかりました。
長女は言葉もずいぶんと話すようになり、
色々なことを理解するようになってきましたが
どもりも最近出てきていて
少し心配があります。
こんな3人の1年を通して
親としての関わりで意識したことを
まとめてみました。
我が家は子供が3人です。
性格は3人とも違います。
おしゃべりな長男、
恥ずかしがり屋の次男、
内弁慶な長女。
共通点はメンタルが豆腐であること。
それぞれに思うことはたくさんある3人です。
出来ることならば、
満足のいくまでたくさん話を聞きたいし、
話してほしい。
しかし、現実は時間が限られていて
なかなか難しいです。
そこで、「その子の時間」を1日1回設けることにしました。
具体的にはお風呂です。
お風呂に入っているときに、
「はい、小学生さん、今日はどうでしたか?」と
学校ごっこのように問いかけます。
3人は喜んで、楽しくその日のことを話します。
時には止まらなくなってしまうのですが
途中で口を挟まないことを「お約束」しています。
それは
「いいか」「悪いか」と判断を人にされるのではなく、
「自分がどう思ったか」「どう感じたか」を表現する場にしたかったからです。
たとえば「今日は先生に怒られて・・」と話したら
「それは長男ちゃんが悪いからでしょ!」と横やりが入ってしまったら、
言葉を飲み込んでしまいますし、
もう話したくはなくなります。
「今日、大きい組と遊んで・・・」
「知ってる!水曜日はみんなで遊ぶ日だから!」と説明をされてしまうと
自分は何を話したらいいのかわからなくなりますし、
話すことがなくなってしまいます。
「きょーは(今日は)ちょーちゃは(長女ちゃんは)せんせーとあそんだの」
「あ!そうか!幼児教室に行ったんだね!」と言われてしまうと、
まだ時系列も理解できていなくて、
ただ真似をしてお話をしたかっただけなのにわからなくなってしまいます。
それぞれの月齢での発達もありますし、
言葉がうまく話せなくてもいいんです。
長男は時々本人も途中で混乱してしまうくらいに
話が逸れて行ってしまうので
困った時には修正をします。
発達の外来でアドバイスをされたからです。
この子が特別に説明が下手なのではなく、
周りに聞くと、1年生くらいだと順序立てた会話はまだまだ難しいとのことですし、
ポイントを絞って話せるように
時々「こういうこと?」と修正をすると、
「そう!それで、それがね・・・・」とうまく会話がまとまってくるようになりました。
次男は、ワーッと話す人がいると
思うことはあっても言葉を飲み込んでしまうので
好きなことを好きなだけ話してもらいます。
そうすると、ぽつぽつと、
「ほんとうは幼稚園がさみしい」とか
「お友達とは遊ばない」とか話してくれるようになってきました。
最後に「どうしたい?」と聞くようにして、
次男が自分の気持ちと向き合う時間を作り、
次男なりの歩みで、幼稚園生活を楽しく感じられるように
次男が自分で考え、努力をしていくことができました。
お給食を完食できるようになり、
長男のいない幼稚園を皆勤賞で終えることが出来ました。
その方法に間違いも、正解もないんです。
ただ、次男は自分が思うことを形に出来て、
結果が付いてきた、という経験が出来て
それは次男の財産になりました。
長女はまだ時系列があいまいです。
話すことも
言葉もそうですが、うまくはまとめられません。
でも長女なりに感じることはたくさんあるので
話が分からなくても
ただ聞きます。
「こあかった」
「うれしかった」
そうやって、自分の感じていることを表現してもいいのだと、
焦ることもなければ、間違いもない、
そう感じて欲しいと思います。
それは長男、次男の子育てを通しての反省でもあるからです。
こうやって、「自分の時間」を設けたことで
今まで小学校や幼稚園の様子を話さなかった長男、次男が
自分から話してくれるようになりました。
時には怒られるだろうなぁとわかっていても
正直に話しますし、
「嫌だ」と感じたことも話してくれます。
そして、わたしはそこに答えは出しません。
「怒られるとわかっている」ことは
「いけないことをしてしまった」という自覚があるわけですし、
「嫌だ」と感じたその気持ちは自分には嘘をつけないわけですから
自分ときちんと向き合うことが出来ているので
あとはその子がどう考えて、動くかです。
冷たいようですが、
親はいつまでも一緒に入られません。
子供たちが、それぞれの人生を自分たちで歩んでいけるように
わたしが出来ることはそのサポートだけです。
代わりに歩むことはできません。
だからこそ、自分を大切にしてほしいと思うし、
自分の心に素直であってほしいと思うのです。